勅使河原蒼風データ〈3〉

(1945.09〜1950  太平洋戦争終戦から、蒼風のマッス作品・巨塊作品の登場まで)
勅使河原蒼風データについての説明はこちら
※まだデータが少ないですが、徐々に増やしていきます


下記年表内の
 赤文字……草月流外のいけばな界の動き
 青文字……蒼風の個人的な出来事
 黒文字……蒼風の公な活動と、草月流の動き 
 緑文字……いけばな以外の美術界および社会の動き
 ★印は、蒼風の作品名か作品内容。〈〉内は作品名
 ※表中敬称略    
    
勅使河原蒼風 年表   (1945.09〜1950)

1945(昭20)9月

小原豊雲・中山岩太(写真)二人展「窓花展」、神戸大丸の焼け残ったショーウィンドー内で開催

★戦後初のいけばな展?
   〃 小原豊雲・井上覚造(絵画)二人展「窓花展」、神戸大丸の焼け残ったショーウィンドー内で開催

1945(昭20)9月中旬

草月流:小野草水、大妻女学校にて個展開催

1945(昭20)10月頃?

蒼風の疎開先に、米軍のジープが来て、「明日からアニー・パイル劇場で稽古をしてほしい」と申し入れてきた。
蒼風は稽古を引き受け、しばらくは疎開先から東京に通ったが、すぐに一家で東京に移り、本郷西片町に仮住まいを始めた(蒼風の弟子の親戚が本郷に住んでおり、部屋を借りた)

1945(昭20)10.05〜09

蒼風・小原豊雲二人展、主婦の友社主宰により、同社の社員用体育館(神田)にて開催。入場無料。会期中、連日盛況。進駐軍とその家族の見物客多数

★使用できる花器が少なく、廃物利用花器が使われる。花材の入手も困難で、野草類を多く使用。ほとんどが小品
4万円の費用が投入された
企画担当者は、花器の盗難を防ぐため、会場に泊り込んだ
主婦の友社社内では、食糧難の中、いけばな展など開くべきでないとの意見もあった。

この花展は、米陸軍報道写真班の2世少尉テッド・アキモトにより、宣伝ポスターが作成され、都内の米軍各宿舎に配られ、反響を呼んだ。その結果、アメリカ人見物客が多く来場し、米軍の新聞「スターズ・アンド・ストライプス」に紹介された
この頃、都内に数件、店を開いている花屋が存在した。ただし、商品はほとんど入っていなかった

新聞報道によれば、この頃の都内のヤミ屋8万人。上野駅駅舎内で、一日に数人の餓死者が出ていた
この頃、戦争中、飛行機に使われていたジェラルミン製の花器が出回る。焼き物の花器は一般には手に入りにくく、貴重だった
米第八軍より、日比谷のアニー・パイル劇場を使い、草月・池坊・小原・古流の4流派にいけばな展を開くよう要請される。
4流が、一週間交代で展示を行い、盛況。
この花展をきっかけに、進駐軍の夫人たちの間に、いけばな人気が高まる

1946(昭21)9月

バンカース・クラブにて、蒼風が講師を務め、米将校夫人たちのためのいけばな教室が開講。蒼風は、自宅から花材を自分で抱えて輸送した(花配達はまだ一般的でなかった)
この頃、パーティーに花を生ける依頼が、GHQの依頼によって蒼風に入るようになる

1946(昭21)12月

戦後初めて、蒼風のいけばなが婦人雑誌に登場。(『婦人の国』新年創刊号)紙と印刷技術の関係で、写真ではいけばなの美しさを十分伝えられないと判断した編集部は、蒼風に作品の写実画を依頼

1947(昭22)05.03

新憲法施行

1947(昭22)05.05〜09

祝新憲法施行草月流いけばな展が、日本橋三越にて開催。(昭和18年以来の開催)蒼風と、師範者60名が出品

★〈寂光〉松とつつじの投入大作

1947(昭22)8月

婦人書房より、蒼風著『草月流いけ花 第一巻 盛花篇』出版。写真、図版入りで、定価60円。朝日・毎日・読売の三誌で新聞広告し、予約を募集。100万円の売上を記録

1947(昭22)11月

蒼風一家、三田綱町に引越し

1947(昭22)11.18〜21

蒼風の「いけばなと絵の個展」、日本橋三越にて開催。
★日本画、油絵を背景にし、大作から超小品までが展示される
蒼風著『IKEBANA』(英文)刊行
蒼風著『新しいお花のいけ方』講談社より刊行

1948(昭23)

蒼風著 随筆集『一花一葉』刊行。仙花紙、カラーカット有り

1948(昭23)03.18〜22

草月流国際いけばな展、日本橋三越にて開催(戦後初の草月流展)

1948(昭23)03.25

主婦の友社講堂にて、草月流師範総会が開かれ、第八応用花型が発表される

1948(昭23)10月

七星会展、大阪阪急にて開催。小原豊雲・中山文甫ら、関西のいけばな作家7人の会だが、招かれて蒼風も出品
交通難、食糧難は続いていたものの、戦後の混乱が収まりを見せ始める

1949(昭24)01.01

GHQにより国旗使用の自由解禁

1949(昭24)04.01〜09

第一回文部大臣招待日本華道展、東京都美術館にて開催。初の文部省主催華道展。各流の代表的作家が出品

★〈再建の賦〉いちじくの枯れ木2本を中心に、根元に濃緑のキャラのマッス。えにしだ、連翹、紅つつじを加えた。器は白高麗の大水盤。幅約2メートル、奥行き3メートル半。「巨塊作品」として画期的。線の表現を追及してきた蒼風が、初めてマッスを突き詰めた大作を発表した、転換期作と言える

1949(昭24)04.01〜07

第23回草月流展、銀座松坂屋5階全フロアを使い開催。蒼風推挙の師範者250余名が出品
★会場入り口に、前期はみずきを主に、後期はレンギョウとツツジを主に、超大作

1949(昭24)10月

文部大臣招待日本華道展(このときより、華道日展と呼ばれる)が、大阪松坂屋にて開催

★同年4月の同展に出品の、〈再建の賦〉を更に練ったマッス作品。マッス効果は前作よりも良いと高い評価を得る(「いけばな芸術」誌が、特に高く評価)

この展覧会より、各流派に戦後的な新しい傾向のいけばなの広がりが見られる

1949(昭24)11.07,

白東社の第一回研究会が行われる

1949(昭24)11.19〜23

草月流展、日本橋三越にて開催

★大作〈塵外から〉大きな倒木を初めて使用  〈無視さるるものよ〉

1949(昭24)11月

「いけばな芸術」誌創刊 創刊号刷り部数 3,000部
湯川秀樹、日本人初のノーベル賞受賞
食料事情、好転。サツマイモが自由販売になる

1950(昭25)1月

「いけばな芸術」誌に、中川幸夫作品が初めて掲載される

1950(昭25)03.21〜26

初の関西:草月流展、大阪大丸にて開催

1950(昭25)04.01〜12

第25回草月流展、銀座松坂屋にて開催

1950(昭25)6月

朝鮮戦争勃発

1950(昭25)10.01〜15

前年に開かれた華道日展が、公募審査制展覧会として初開催。会場:銀座松坂屋。初のいけばなコンクール展。審査員:蒼風・横地宗庭(相阿弥)・安達潮花(安達式)・早川尚洞(清風瓶花)・下田天映(大和華道)・岡田広山(広山流)・大野理瀞(古流)・藤原幽竹(池坊)・工藤光園(小原流)

★〈玄華〉サボテン使用。〈望古譜〉素焼き大花器にフジ蔓。〈黙〉ぎょりゅう、つげ、あせび、がまずみ、ひばで作ったマッスから枯れ木が突き出した作品

★〈玄華〉〈望古譜〉〈黙〉の三点は、いずれも今日では蒼風の代表作とされている。戦後の蒼風の躍進は、この展覧会により、一般社会にも明確になった

1950(昭25)11月

土門拳撮影:蒼風作〈黙〉が、美術手帖誌に掲載される

1950(昭25)11.14〜20

第26回草月流展、日本橋三越にて開催
★〈寂光〉マッス作品

1950(昭25)

この頃、白東社の研究会に集まる同人は、20名ほど




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