◆ノンフィクションでお送りします……私は、こんな感じで花の免状を取りました

 私は、いけばな草月流の免状を持っています。
 私は、町の個人教室でいけばなを習い始め、自分が先生になる夢なども特に無く、そんなに強い意欲を持って免状を取り始めた者ではありません。いけばなは、単なる楽しみであって、どっちかと言えば「自分は免状を取っても看板掲げて先生業をやりはしないだろう」と思っていたような人間です。

 要するに、私はいけばな人口の中では一番多いタイプである、「それほど専門性を求めていけばなをやってるわけじゃない生徒」の一人でした。
 このような、一番普通のタイプの生徒が、免状を取っていった状況や気持ちを、書ける範囲で赤裸々に書いてみようと思います。

「みんなは、どういうタイミングで免状をとってるんだろう?」
「免状は、欲しいような、そうでもないような感じだけど、ほかの人はどうなんだろう?」
「免状は、取らなきゃいけないものなの?」
などなど、免状取得に関する疑問や迷いのある方には、なにかの参考になることもあるかと思います。

 一個人の経験談ですので、どなたにも有益な情報になるかどうかは分かりません。また、いけばな流派によっては、私のような考え方では「非常識」と思われる場合もあるかもしれないことを、了解の上お読みいただきたいと思います。

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◇最初の頃は子どもだったので、免状関係のことは親まかせだった

 私は、10歳のときに、草月流に入門しました。入門した当時は、特にそうは思わなかったのですが、大人になってから考えてみると、自分はかなり早くいけばなを始めた人間のようでした。(参考:花の「子ども教室」について
 10歳ということは、小学生です。当然、レッスン料も、花代も、親にお金を出してもらっていました。もちろん、免状代も、親持ちです。

 私のあやふやな記憶によれば、子供の頃は、先生に「上のお免状を取りましょうか」と言われたら、何も考えずに「ハイ」と言っていたように思います。
 より具体的に書くなら、
「先生に、上の免状を申請しましょうか?と言われる」→「親に相談しますと返事をする」→「家で、親に先生に言われたままを話す」→「親にいいよ、と言われる」→「次の週のお稽古のときに、先生に免状をお願いしますと返事する」
というようなやり取りをしていたと思います。

 記憶の中にある限りでは、うちの親は、免状申請の話をすると、すごく機械的に「いいよ」と言っていました。
 「いいよ」と言われるものですから、こっちも何の疑問も持たずに「ふーん、取った方がいいのかな」くらいの意識でした。
 今思うと、親(主に母の判断だったと思います)にしてみれば、下の方の料金の安い免状だし、せっかく習わせているのだし、「取れるものなら取っとけ」という考えでお金を出してくれていたのだと思います。
 でも、もしも、免状料が、母にとって「高いわ」と思う金額だったとしたら、うちは免状を取ってくれなかったのではないかと思います。毎週のお稽古だけで十分です、ってことになったのではないでしょうか。
 うちの場合は、私も母も、「いけばなの先生になることを目的として、稽古に通っているわけじゃない」と思っていたので、無理してまで資格を取る理由はありませんでしたから。(私が、「花の先生になる可能性」を初めて考えたのは二十歳をすぎてからでした)

◇「師範を取れたらいいな」と思ったのは、高校生くらいの頃

 上の項に書いたように、私は花の先生になりたくていけばなを習っていたのではありません。花を生けて、そのとき楽しければそれで良い、と思って教室に通っていました。そして、「もう楽しくないや」と思う日が来たら、そのときはやめちゃえと思っていました。

 このように、私はまったく長期的展望を持たずに稽古に通っていたのです。(この考え方は、別に今でも「間違っている」とは思っていません)
 ところが、本人には長期的展望が無かったのに、教えてくれていた先生は、ちゃんと先のことを考えていてくださったようで、「高校卒業くらいのタイミングで、師範になれるようにしよう」と言ってくださっていました。
 そう言われると、こっちは無知な子どもですから、「そういうものか」と思います。おまけに、高校卒業のときなら、まだ免状代は親持ちでしょうから、自分のフトコロはまったく痛みません。
 つまり、師範を取ることによって、自分には何のリスクも無いわけで、取ることをためらう理由もありません。
 よって私は、「師範取れたらいいなあ」と、きわめてお気楽に考えていました。
 今思うと、いけばなを教えようという目的も無いのに、「師範取れたらいいな」などと言うのはおかしなことです。必要無いものを、「欲しい」と言っているわけですから。
 しかし、リスクが一つも無いために、「損するわけじゃないんだから貰っとこう」という心理が生まれ、無料プレゼントのグラスか何かを、大して欲しくもないのに貰っちゃうみたいな感じで、私は「師範免状」をゲットしようとしていました。

 もしも、母が「師範免状のお金は自分で出しなさい」と言っていたとしたら……私は取らなかっただろうと思います。師範の免状は、5桁の金額になりますので、高校生のお小遣いから、自分は5桁を出さなかっただろうと思います。多分、その数年後に、社会人となり、給料をもらえる身分になるときまで、師範はお預けにされていたことでしょう。
 また、師範になるために、試験を受けるとか、何か面倒なものを提出しろとか言われるようなことがあったとしたら(実際には無いです)、多分取らなかったですね。私は、「ノーリスク」でなければ、師範なんか欲しくはなかったのです。

◇自分から上の免状を欲しがる生徒ではなかった

 何もかも親任せで花を習っていた私も、月給取りになってからは、さすがに自分ですべてのお金を払うようになりました。
 私の場合、自分で先生に、「上の免状を早くいただきたいです。お願いしますね!ね!」というタイプではなく、先生から「上の免状を申請しようか?」と言われてから、初めて「どうしようかな」と考えるタイプでした。
 つまり、先生が「上の免状取る?」と言わなければ、私は永遠に上の級に進まずに満足していたのかもしれません。

 しかし、先生はいい感じのペースで免状申請をすすめてくれたので、私は非常に自然に、それに乗っかっていきました。
 私は、積極的に上の免状を欲しがりはしませんでしたが、「もう、免状は欲しくない」とも思いませんでした。
 自分にとって、自然なペースで取っていくなら、それも楽しみの一つ、という感じでした。
 でも、免状料が、自分のお財布にとって「自然じゃない額だ」と思ったら、多分、先生に「免状は取りません」と言ったと思います。私は今までに二箇所の稽古場に通いましたが、どちらの稽古場も、「取らなくていいです」と言い出せない環境ではありませんでした。免状を取らないことを選択するのも、その生徒さんの権利であり、私の先生たちは、その権利を無視する人ではありませんでした。
 免状を取らないことは、恥ではないです。
 それを、「恥扱い」するやつは、そいつの方が恥ずかしいやつなのです。

◇師範になったときに、雅号をもらった

 世の中には、「名前をもらう(雅号を名乗れるようになる)」ことをモチベーションにして、いけばなを習っている方もいます。一昔前までは、「雅号をもらう」=「正式に勉強して、プロの腕になった人」として、一目置かれる要素の一つになったからでしょう(現在では、半目も置かれないように思いますが……)。

 現在でも、雅号を付けてもらうと、「いかにも華道家っぽくなった」として、なんかテンション上がるという人の方が多いかもしれません。
 私の場合、雅号はあっても無くても良かったのですが、最初にいけばなの楽しさを教えてくれた先生が、私のために考えてくれた名前なので、そういう意味では大切にしています。
 しかし、現在では、雅号は華道家の必須アイテムではなくなったかな……とも思います。流の外で、雅号じゃないから信用されないということは、すでに無いような気がします。
 「立派な雅号=いけばなの腕が立つ人の証明」ではないことを、世間も悟っているのではないでしょうか。

◇最終的に、「一級師範にはなろう」と思っていた

 上記のように、私は、そんなにガツガツと免状を欲しがった生徒ではありません。
 でも、大人になってからは、「いつか、一級師範にはなりたいものだ」と思うようになっていました。そう思うようになった大きな理由は、私が指導を開始して、自分が免状を出す立場にいずれはなることが確定されたからです。
 それでも、いつまでになりたいとか、早くなりたいとかは思いませんでしたし、先生に「私は一級師範になりたいのだ」というアピールもしませんでした。

 しかし、私は、勉強していれば、遅かれ早かれ自分の望みはかなうと知っていました。
 勉強する気があって、一級師範を取る気もある人が、「どんなに頑張っても、一級師範は取れませんでしたとさ」ということなど無いと分かっていました。
 今までどおり、先生の判断を信じて、「申請しましょうか?」と言われる免状を申請していけば、いずれ自分は一級師範になれるのです。だったら、特別なアクションを起こす必要もありませんよね。

 参考までに、なぜ私が「一級師範」を欲しいと思ったかと言うと、「一級師範」という免状が、いけばなで社会と関わろうとするときに、ほんの小さな力しかないけれども、「ちっちゃなちっちゃな武器となり得る」ことを知ったからです。
 たとえば、会社稽古にいけばなの先生を迎えようというときや、カルチャーセンターの講師募集などで、「一級の先生」と「二級の先生」では大きな差がつくのです。
 「二級師範の先生」というのは、流の外部の人にも、「一番上の位まで行ってない人だ」ということが明白に分かります。実際には、位は二級師範だけど、鋏を持ったら神業の人って、きっといるのだと思いますが、その人は世間から見たら、「一級師範の先生に比べたら、下の人だ」ということになりますよね。

 私は、世間様に「二級以下ではないです」とアピールする機会がいつか訪れるかもしれない可能性のために、「一級師範にはなろう」と思ったのです。
 つまり、そのときには、私はすでにいけばなでギャラをもらうことを考え始めていました。
 てゆーか、私のいけばなの初ギャラは、高校三年生のときに、すでに発生していました(指導ギャラではなく、作品ギャラでした)。自分の教室の開講と、外部でのギャラ発生が無かったら、私は「一級師範が欲しい」という具体的な目標を描かなかったかもしれません。

◇「顧問」の免状は、「自分にとって、顧問が現実的なものに思えたら取ろう」と思っていた

 上の項に書いた「一級師範」の夢を、私はとくに急ぐことも無く、順調に果たしました。
 まったく自分の思った通りに、「先生の判断を信じて、いい感じのペースで昇級していったら一級師範になれた」のです。

 草月流の方ならご存知と思いますが、草月の「一級師範」は、4種類に分かれています。
 4種類の位を下から書くと、
「一級師範総務」

「一級師範常任総務」

「一級師範顧問」

「一級師範理事」
です。

 私は、「一級」と名が付けば、それは「ちっちゃなちっちゃな武器」になると思っていたので、「一級師範総務」で打ち止めにしても、かまわないと言えばかまわないような状況でした。
 しかし、「一級師範総務」になった頃には、開講時よりもわずかながらお弟子さんが増えていて、さらに上の免状を取ることは、今後の自分と、自分の生徒の利益になり得るものだと考えました。
 そこで、私は先生のすすめるタイミングで、「一級師範常任総務」になりました。そのときには、まだ二十代でしたので、もしも教えていなかったとしたら、この資格は取らなかったかもしれません。仮に教えていなかったとすると、
「指導を始めたら、そのときに取るかどうか考えよう」
と思ったのではないでしょうか。

 その先にある「顧問」は、「常任総務」よりも、もっともっと敷居が高いものでした。大体、免状の料金が違いますし、「顧問」からは試験があるのです。「顧問」は、明らかに、「特別な位の免状」でした。「常任総務」を取ったばかりのタイミングでは、私は「ぜひとも次は顧問にチャレンジだ!」とは思いませんでした。それは、自分にとっては次元が違うものに見え、それを取ることにリアリティすら感じないくらいでした。

 私は、自分にとって「顧問」が非現実的に見えるうちは、取るつもりはありませんでした。「別次元だわ……」という思いが無くなり、リアルなものに見えてくるまで、手を出さないことに決めていました。その結果、一生取らずに終わってしまっても、それはそれでいいと思っていました。
 こう思っていたせいで、私は顧問の受験資格を得ても、何年も受験申請をしませんでした。
 申請を決断したのは、「顧問」を取ることが自分にとってはメリットであると見極め、顧問取得を本当にリアルに考えられるようになったときでした。もしも、「メリットは、あるかどうか分からない」という状況だったら、私は未だに「常任総務」のままだったのではないかと思います。

◇「理事」は、ぶっちゃけ取らなくても良いと思っていた

 「顧問」を取った私は、最上位の資格である「理事」の取得に燃えるかと思いきや、「理事は、さすがに無くてもいいのでは」と思っていました。
 現在、私は「理事」を持っていますが、正直言いまして、取らなかったとしても何も困ることは無かったと思います(少なくとも、これを書いている時点では)。

 20代の頃から気付いていたのですが、私は「上の資格を取る」ことが、モチベーションにはならないんです。恐らく、世の多くの人にとっては、それはモチベーションになり得るのでしょう。そうでなければ、あれほど嬉々として免状申請する人がたくさんいることの説明がつきません。

 どうしても理事になるんだ……と燃えることによって、作品の質が上がっていくのであれば、ただ目指すだけでも価値ある行動だと思いますが、私はそうではないので、「理事」を取ることに、はなはだ淡白でした。
 淡白ではありましたが、その分クールに「取ることにメリットはあるのか」「デメリットよりも、完全にメリットの方が大きいと言えるか」という現実的なことを考えていました。

 その考えを突き詰めていって、ある日私は「理事取得は、教室を持ち、本部の講座に通い、花展にも出品し、ギャラ発生が見込める自分にはメリットになる」と決断しました。
 そして、私は「理事」を取得しました。これは、私にとっては「いけばなを仕事にできる」からできたことです。「趣味」だけで、どんなにいけばなが好きだとしても、免状に創作のモチベーションを見出せない自分は、「理事まではいらない……」と思っていたことでしょう。
 ただし、私が時間とお金が有り余っている身分であったとしたら、大して深く考えもせずに、もっとスピーディーに顧問も理事も取ったでしょうね。その「理事」が無駄になっても、別に困ることもないのであれば、そうしたでしょう。

◇なんだかんだで、「自分の場合は、理事まで取ったのは無駄ではなかった」と思っている

 私は、いけばなを習うことは、「免状取りを頑張る」ことではないと思います。
 花で生計を立てようとする人間であれば、本当は「うまいこと生徒さんを免状欲しい星人に育てる」ことも技術のうちなのですが、私はどうもそれをするのが苦手です。

 免状を取ったらうまくなる、というのであれば、私だって免状が欲しいですよ。でも、そうではないですもん。「うまくなったから、その証明に免状を出してあげるよ」という、「事後承認」の書類ですもん。
 流の本部からは怒られるかもしれませんが、私は自分の教室で「腕の証明を紙でするな、鋏でしろ!」と教育してしまったので、免状欲しい星人が今のところ一人もいません。

 しかし、上記のように思っている私が、「理事免状が無駄ではなかった」と言い切れるところに、免状取得の意義があるのです。
 私にとって、「理事免状」は、自分の営業を強化するツールになり得ます。決して、そんなに強力な武器とも言えないのですが、それでも、費やした「先行投資額」を回収する力は確実にありました。理事の上の免状は無いので、免状に関して言えば、すでに私にはデメリットは何もありません。
 最上位の免状を飾りにしない気概は、最初から持っています。自分は、「理事を取ってよかった」のです。

 ただし、私の「理事を取ってよかった」のは、結果論です。誰でも、「取って良かった」と言えるはずだと、保証することはできません。単純に考えるなら、「理事まで取ることないだろ」という人の方が多いはずです。

 このコラムは、理事取得の正否を求めようとして書いたものではありません。私の場合はこうだったという、一例の提示にすぎません。個人の体験ですが、超リアルなので、免状取得に関して情報を探している方、悩みや迷いを持っている方の参考になればと思います。
 ポジティブな方に、「そうか、最高位の免状を取って良かったのか。後に続こう!」と思っていただけると、流の偉い人にも喜んでいただけるコラムになるのですが……読んだ方には、自由な受け取り方をしていただいて結構です。

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