◆バラ  「八月の狂詩曲」 (監督 黒澤明)

 この作品は、1987年に芥川賞を受賞した、村田喜代子作「鍋の中」を映画化したものです。

 ある夏の日、一人で暮らしているおばあさんの元へ、孫たちが訪ねて来ます。しかし、孫たちは、ただの夏休みをすごしに来たのではなく、ハワイから届いた一通の手紙をおばあちゃんに渡す役目を言いつかってきたのでした。

 手紙は、日本を出てハワイに渡り、パイナップル農園で成功したという、おばあさんの弟:錫二郎の息子、と名乗る男性からのものでした。内容は、「父はもう長くない。会いに来てもらえないか」というものです。しかし、驚いたことに、おばあさんは「錫二郎なんて兄弟はいない」と言うのでした。

 ちょっとおかしなおばあさんの言動ですが、原作と映画では、少々異なる印象に描かれています。
 原作では、最後まで、おばあさんがわざと知らない振りをしているのか、本当に忘れてしまったのか、あるいは痴呆なのか、はたまた手紙の方が間違っているのか、作者がはっきりと示してくれておらず、読者の解釈にまかされている部分が多いのです。

 しかし、クロサワ映画の方は、おばあさんは、知っていてわざと嘘をついていることになっています。この辺、どうも原作者はお気に召さなかったようで、たしか、文春だったかに、反論の記事を書いておられたと記憶しています。
 私は、個人的には非常に好きな映画で、良質の文芸作品だと思うのですが、原作者の言われる意味も分かるように思います。原作の方が、全体を包むモヤッと不可思議な雰囲気があるのです。

 で、ようやく植物の話に入ります。
 これは、原作にも、映画にも描かれているのですが、バラの木を、蟻の行列が登っていくシーン があるのです。
 え、え? それ間違ってます!と思ったあなたは、相当の植物通ですね!

 そう、このシーン、とてつもないフィクションなのです。
 蟻は、決してバラの茎を登ったりしないのですよ。
 誰でも知っているように、バラには非常に鋭いとげがあります。これを蟻が嫌うのです。
 蟻ならよけられるんじゃないの、って思うかもしれませんが、バラの茎には、人間の肉眼では見えないような細かなとげが、びっしりと生えているんです。蟻にしてみれば、針をばらまかれた道みたいなものです。

 そこで、困ったのが世界のクロサワ監督です。
 原作の、このシーンをぜひとも生かしたい。しかし、蟻はバラを登ってくれない。世界のクロサワは、造花なんて使うのはイヤだ。さあ、どうする、って言うんで、スタッフが昆虫の研究者の力を借りて、色々試したんだそうです。

 まず、バラのとげを小さなものまでつるつるに剃り、ところどころ甘いものをつけてみたそうですが、これは失敗に終わったとのこと。更に研究を重ね、とげを剃ったバラの茎に、蟻がひきつけられるフェロモンのようなものを塗ることで、ついに、幻の「バラの木を登る蟻の行列」を実現したのだそうです。

 でもね、実際にこのシーンを映画で見ると、時間的には短いんですよ。苦労して撮ったのにね。
 しかも、ありえないシーンなのに、きわめて自然な描写に見えるのです。「不可思議な映像だ!」って思う人は、おそらく、昆虫学者と植物学者くらいでしょうね。
 これは私の推測ですが、原作者は、蟻の生態など特に気に留めずにこのシーンを描いたのではないでしょうか。でなければ、あれほど不思議感の無い架空シーンは描けないのではないかと思います。

 映画の方は、おばあさん役の村瀬幸子さんの演技がすばらしく、クロサワの映像はいつものように美しく、私は、連れて行った友人に「良いものを見た。ありがとう」と言ってもらえました。
 これからDVDで見てみようかという方は、スタッフロールを注意してご覧ください。「蟻指導」した人の名前がきちんと入っていますから。

◆DVD:「八月の狂詩曲」



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